論文
公開件数:56件
No. 掲載種別 単著・共著区分 タイトル 著者 誌名 出版者 巻号頁 出版日 ISSN DOI URL 概要
1
単著
安政期における目黒砲薬製造所の建設と地域社会
根崎光男
法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第19/ 第1
2018/12/20




2
単著
書評:山﨑久登『江戸鷹場制度の研究』

日本歴史

第837号
2018/02/01




3
単著
将軍と動物―中野犬小屋の運営をめぐって―
根崎光男
本郷
吉川弘文館
123
2016/05/01




4
単著
吉宗政権と犬政策

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第16/ 第2
2016/01/20




5 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
幕府鷹場と江戸の町

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第15/ 第1
2014/12/15




6 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
近世後期、霞ヶ浦の湖水環境と「水行直し」

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第13/ 第1
2013/03/31




7 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
地域と生業の環境史-近世後期の下総台地畑作地域を事例として-

『フィールドから考える地域環境-持続可能な地域社会をめざして』(ミネルヴァ書房)


2012/04/10




8 (MISC)その他記事
単著
書評:根岸茂夫・大友一雄・佐藤孝之・末岡照啓編『近世の環境と開発』

日本歴史

第765号
2012/02/01




9 (MISC)総説・解説(その他)
単著
テクノロジーと精神文化の一体化―江戸の知恵を知る

月刊MOKU

第19/ 第11
2011/11/01




10 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
将軍の鷹狩りと駒場原

目黒区郷土研究会『郷土目黒』

第55集
2011/10/01




11 (MISC)総説・解説(その他)
共著
桜と紅葉と日本人

JAF MATE社『日本の彩り 桜と紅葉60景』


2011/02/20




12 (MISC)会議報告等
単著
近世初期における鷹の獲得をめぐる政治と民衆―下総・上総両国内に飛来した隼を事例として―

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第10/ 第1
2009/11




13 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
江戸の下肥流通と屎尿観

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第9/ 第1
2008/11



 江戸における屎尿の商品化の歴史的経緯や市場規模の問題、そして下肥を通じた江戸と周辺農村との物質循環や人々の屎尿観を究明した。
14 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
江戸周辺の諸鳥飼育―幕府綱差の身分と飼付御用―

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第8/ 第1
2008/01




15 (MISC)総説・解説(その他)
単著
「生類憐みの令」の世界

藤沢周平の世界

第27
2007/05




16 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
単著
御三卿田安慶頼の半田稲荷御通抜け
根崎光男等
葛飾区文化財専門調査報告書・半田稲荷の歴史と文化財


2007/03




17 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
享保期における放鷹制度の復活と鷹場環境保全体制

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第7/ 第1
2007/02




18 (MISC)その他記事
共著
「お鳥見女房」対談
根崎光男、諸田玲子
蛍の行方・お鳥見女房(新潮文庫)


2006/11




19 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
近世の鷹狩をめぐる将軍と天皇・公家

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第6/ 第2
2006/03




20 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
生類憐み政策の成立に関する一考察

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第5/ 第1
2005/03




21 研究論文(学術雑誌)
単著
生類憐み政策と天皇・公家

日本歴史

第681号
2005/02/01




22 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
近世日本における鳥類保護と江戸周辺農村

法政大学人間環境学会『人間環境論集』

第4/ 第1
2004/02




23 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
近世日本における鳥類保護の一形態 ―「紀伊殿囲鷺」の場合―

さいたま市/さいたま市史研究

第1
2003/03



享保年間以降、武蔵国足立郡の一部村村で行われた鳥類保護に着目した。鷺が住み着いた場所は「鷺薮」と呼ばれ、紀伊徳川家の恩賜鷹場内に位置づいたことで、紀伊家から囲いの杭が下げ渡され、「御囲鷺」としての歩みを遂げた。鳥類保護区となったことで、鷹狩りが挙行されることはなく、希有な鳥類保護の拠点となり、近代の天然記念物の指定につながっていくのである。全24頁
24 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
近世前期における幕府鷹場の存在形態

法政大学人間環境学会/人間環境論集

第3/ 第1
2003/02



江戸幕府の放鷹制度の解明に、幕府鷹場の研究は不可欠である。これまで幕府鷹場は寛永年間に設定されたものと考えられてきたが、家康の関東入国時に設定され、幕府の開設によって畿内近国や東海道筋まで拡大され、それぞれ幕府役人の配置によって管理されていたことが確認できた。また幕府鷹場の一部には諸大名への恩賜鷹場が配置され、幕藩制下の主従関係の構築に利用されていたことが確認できた。全23頁
25 (MISC)その他記事
単著
評価・点検システムの確立を

ミュゼ『前期旧石器問題とその背景』


2002/03



本書は前期旧石器捏造事件の発生を契機として、その背景と問題点の析出のために編まれたものである。そこで筆者は、これまで考古学研究者・博物館・自治体・マスメディアなどが、「発掘成果」を早急かつ無批判に受け入れてきた点に猛省を促しつつ、こうした問題の再発防止策として「危機管理」の構築と「発掘成果」の評価・点検システムの確立を提言した。 全3頁
26 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
近世後期における下総台地西部村落の地域環境と生業―下総国葛飾郡藤原新田の松喰虫喰い荒らし一件を通して―

法政大学人間環境学部『人間環境論集』

第2/ 第2
2002/03



自然は人の営みの上で資源を供給するという欠かせない存在だが、その資源を利用するにあたって人の側は諸々の社会関係を築いていた。これと同様に、自然の脅威への対応もまた人の側の社会関係を映し出すことになった。ここでとりあげた下総国葛飾郡藤原新田で発生した松喰虫喰い荒らし一件は、領主と村落、村落内の農民と農民の諸関係を浮き彫りにし、村落の復興と融和とが重要な課題であった。自然が人の営みに大きな影響を与え、一方で人が自然に働きかけを行って生活の維持をはかり、さらに自然が人の営みを制約するという相互作用が歴史の中には常にあることを論証した。
27 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
近世農民の害鳥獣駆除と鳥獣観

法政大学人間環境学部『人間環境論集』

第1/ 第2
2001/03



人間にとって、自然は恵みをもたらしてくれる一方で、脅威の対象でもあった。この自然の生態系の中で、ともに生きる人と動物との関係は歴史的にどのようなものであったのかが本稿の主たる課題である。特に、近世の関東地方を事例として、人の鳥獣害への対応とその対策をめぐっての社会関係、さらに人と鳥獣との共生関係をも視野に入れて検証した。 全12頁
28 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
生類憐れみ政策下における放鷹制度の変容過程

法政大学人間環境学部『人間環境論集』

第1/ 第1
2000/03



五代将軍徳川綱吉がその在任中に生類憐れみの令を触れたことはよく知られている。しかし、幕府は家康以来、鷹狩りにかかわる制度を整備してきた。生類の保護を謳う生類憐れみの令によって、生類の殺生を前提とする放鷹制度がどのように変容して行くのか、そしてこれらがどのような政策基調のもとで進められていくのかを検証した。その結果、綱吉政権の誕生と同時に、「仁政」という政策基調のもとで、まず鷹役人が削減され、諸大名などへの獲物の下賜儀礼が縮小されていくことが確認できた。その後生類憐れみの令の施行とともにさらに放鷹制度が縮小されていき、元禄期には鷹狩り禁止令へと展開していった。本稿は綱吉政策の「仁政」政策の展開の一環として鷹政策を位置づけ、考察したものである。 全14頁
29 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
単著
近代日本画の展開と荒木一門

日立市郷土博物館「近代花鳥画考―読画会・荒木一門の系譜―」


2000/03



今でこそほとんど名を留めていないが、明治から昭和戦前期にかけて、東京画檀の花鳥画の分野で一大勢力を誇ったグループに荒木一門の画家たちがいる。江戸末期以来、画壇で名を馳せた荒木家は寛快、寛畝、十畝と引き継がれ、多くの門弟を育てた。寛畝は帝室技芸員、十畝は帝国技術会員として東京画檀の重鎮となり、守旧派の立場で日本画の伝統と精神を門弟に教え、多くの花鳥画家を文展や帝展に送りだし、その流れは戦後にも引き継がれた。本論は荒木派の芸術理念および絵画指導法、さらに画壇における位置やそれぞれの画家の画風の特徴を述べたものである。 全4頁
30 (MISC)その他記事
単著
将軍の鷹狩りと江戸周辺農村

山川出版社『大江戸・歴史の風景』


1999/10



本書は江戸と近郊地域との関係が政治・経済・文化などの分野で、どのように展開していったのかを具体的な事例によってみていこうとしたものである。この編集方針にそって、江戸町とその周辺農村との関係を、将軍の鷹狩りを通して概観したのが本稿である。将軍の鷹り狩の場である江戸周辺鷹場は江戸町とその周辺農村を行政区域で区別することなく、「御拳場」や「御捉飼場」という鷹場編成によって鷹場役人の支配系統や諸役負担の内容を分担し、鷹場支配が達成されていた。特に、「御拳場」地域は江戸町の大部分と「江戸五里四方」を含む領域で江戸域の生活必需品(上ヶ物と呼ばれる)を上納する義務を負っていた。また将軍の鷹狩りが江戸および周辺農村の生類保護に果たした役割を述べた。 全26頁
31 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
綱吉政権初期の鷹政策

法政大学教養部『紀要』

第107号・特別
1998/06



江戸幕府第五代将軍徳川綱吉は、生類保護のための「生類憐れみの令」を発令したことで知られる。しかし、その発令以前に鷹狩り政策を縮小している。そこで、鷹にかかわる政策の縮小の経緯とその背景を、館林藩主時代を視野に入れながら、「生類憐れみの令」との関連で考察した。そして、その縮小が藩主時代から確認でき、幕府政治に反映していったことを指摘した。その背景には儒教思想、とりわけ「仁政」の一環であることを論証した。将軍の鷹狩りの中止、鷹役人の削減、諸大名への鷹の鳥の下賜の縮小、鷹場規制の緩和などが打ち出されたが、この政策転換は鷹政策に特徴的であったのではなく、幕府政治のあらゆる方向に波及した。しかし、このなかでも朝廷との関係は特別のこととされ、さまざまな儀礼は継続されていたことなどを指摘した。 全30頁
32 (MISC)その他記事
単著
村のくらし

天津小湊町役場『天津小湊の歴史』


1998/05



近世の天津小湊町城の村々のくらしに焦点を当てて執筆した。内容は村の由諸、景観などの村落概況、人口の推移、農民の耕地所持、村落の組識と運営、家族の構成、村の財政、衣食住、年中行事と祭礼、人生の通過儀礼、元禄地震や大火の被害などを実証的に分析、解説し、村人のくらしを叙述したものである。特に、誕生寺門前町、半農半漁村、山間村の生活の違いに留意しながら、その生活を具体的に描いた。 全60頁
33 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
近世の鷹場と環境保全―浦和周辺の鷹場を素材として―

浦和市総務部『浦和市史研究』

第13
1998/05



関東農村の多くは、江戸幕府の鷹場に指定されていたことによって、さまざまな規制を強いられていた。そこで、浦和周辺の鷹場を素材として、鷹場規制と環境保全との相関関係を考察した。特に、農民の生活環境、漁業環境、土地開発、天然記念物の保護と鷹場規制との関係がどのように現象しているかを中心に考えたものである。その結果、鷹場規制が優先されつつも、地域の伝統、幕府の意思などに関わることはそれが優先される事例がみられることを明らかにした。しかし、その場合、地域の伝統なりがそのまま認められたのではなく、鷹場制度への寄与が要請されることも確認できた。また鷹場内の天然記念物はその規制よりも保護が優先される事例もみられた。ただし、その保護は主として農民負担によって維持されるところに特徴があることを指摘した。 全20頁
34 (MISC)その他記事
共著
奥田元宋

朝日新聞社 『朝日美術館 現代の日本画・日本編11』


1997/11



本書は日本画家・奥田元宋の画集である。このなかで、元宋芸術の総論及び作品解説を執筆した。総論は「奥田元宋-大自然の真趣を求めて」と題し、その出生から現在までの芸術の軌跡を叙述した。元宋は文化勲章を受章した現代日本画の巨匠のひとりであり、その芸術は自然の織りなす千変万化を心象に託し、精神性の高い風景画世界を創造したところに特徴がある。そのことを作品制作の歴史的経過をたどりながら、作風の変化・技法の開拓、それに美術団体活動を交えて描いた。 全98頁中、総論及び作品解説(83~87頁、90~95頁)を担当 共著者:根崎光男、梅原 猛
35 (MISC)その他記事
単著
明治中・後期の大観と栖鳳

練馬区立美術館『東西画壇の両雄 大観と栖鳳』


1997/04



近代日本画壇の両雄として君臨した横山大観と竹内栖鳳との対比を通して、その芸術性の違いとその要因を追いながら、一方でその接点を探った。東京画壇で狩野派の影響下にあった大観、京都画壇で円山四条派の流れを汲む栖鳳というように、画家としての出自を異にした二人が明治期の美術状況のなかで、岡倉天心やフェノロサの刺激を受け、自らの芸術を確立していく模様を述べた。しかし、出自に規定され、大観が理想主義・精神主義的な世界を、栖鳳は写実味を強めた穏健な作風として、大成していく軌跡を、地域基盤の違いをからませながら、私見を述べた。 全6頁
36 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
金鈴社考

新潟県立近代美術館『大正期の日本画 金鈴社の5人』


1995/09



大正期の日本画壇を代表する鏑木清方、結城素明、吉川霊華、平福百穂、松岡映丘の五人が金鈴社という美術団体を結成し、その活動は大正5年から11年まで行われた。しかし、この金鈴社がどのような目的をもって結成され、このなかで何を目ざしていたのかについてはいくつかの見解に分かれている。本稿は実証的に団体活動の足跡を追究し、その性格を明らかにしようとしたものである。その結果、この5人が文部省美術展覧会のあり方に批判的であることを、それぞれの共通項として、ジャーナリスト・田口掬汀のすすめで団体結成にいたった事実を指摘した。そして会場芸術に振り回されず、個性を発露させた小品制作に邁進していったことを明らかにした。 全11頁
37 (MISC)その他記事
単著
戦後日本画の潮流

芸術新聞社『アート・トップ』第26巻第2号(通巻145号)


1995/03



戦後日本画の流れを、日本画諸団体の結成と解散の動向を中心に述べた。敗戦後まもなく、文部省の主導で復活した日展と、在野の院展、青龍社展は戦前からの流れにある団体である。特に、日展は文展の系譜を引くものであり、その体質を克服することなく再出発したものであるため、抗議の声が相次ぎ、それへの批判として、創造美術やパンリアルという前衛的な美術団体を生んだ。その団体からは造形性を強め、抽象へ突き進んでいく作家も登場し、日本画へのアンチテーゼが示された。この流れは1960年年代に盛行を見て、以後もいくつかの団体が結成されたが、「日本画」という枠組みを持たない芸術活動も活発に展開し、現在の多様な「日本画」界の状況を生んだ足跡を展望した。 全2頁
38 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
戦争記録画の一証言

練馬区立美術館『練馬区立美術館年報 1991~1994』


1995/03



わが国では、今なお戦争責任・従軍慰安婦などの戦争関連問題をタブー視する風潮が強い。このことは美術史においても同様であり、不明な点が多いが、本稿では生存する従軍画家の証言を拠り所として戦争記録画の性格を明らかにすることに主眼を置いた。但し、ここでは戦争画が絵画表現のあり方の一つという側面を重視し、従軍画家個人の戦争責任については触れていない。なお、歴史史料から伺えることとして、明治以来、従軍画家が積極的に戦争画の制作に従事していたことは指摘しておいた。また証言からは、戦争画が現場主義で描かれたものではなく、画家の構想によるものであることを明らかにし、文末に証言内容を画家の了解のもとに掲載している。 全7頁
39 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
単著
日本画のなかの金と銀

練馬区立美術館『日本画の装飾美』


1994/04



日本画は装飾美の強い絵画といわれる。その日本画の装飾美を考える時、代表的色彩が金と銀である。そこで本稿では金銀の文化的特質として富の象徴、聖なるものの象徴という側面を浮かび上がらせ、聖と俗の荘厳化に機能してきたことを述べた上で、しだいに神性から俗性へとその役割の比重を移していることを歴史の流れに即して明らかにした。近代の日本画のなかで、金銀が多様されてくるのは、明治末期~大正期であるが、これは琳派や大和絵の復興の時期と一致し、一方で、金銀の需要と密接に関係していることを明らかにした。 全6頁
40 (MISC)その他記事
単著
戦争をはさんで昭和日本画はどう変わったか

『芸術新潮』第44巻第10号


1993/10



昭和の日本画の展開を考える時、これまで「戦前の日本画」や「戦後の日本画」として解説されることが多く、戦争期をはさんだ日本画の歩みをトータルに解説したものは少なかった。そこで、戦前の日本画と戦後の日本画の連続、悲連続面、それに戦争期の日本画の特質について私見を述べた。昭和初期にみられるモダニズム運動は日本画の世界にも押し寄せ、新進作家を主体に大きな展開をみせたが、彼らの多くは従軍作家に駆り出され、戦争期に中断する。この時期旺盛となるのは富士の風景画や軍人などの人物画であり、戦争を鼓舞するものへと変化していく。しかし、これらも戦後、純粋な風景画や人物画へと変貌し、またモダニズムの風潮が復活し、戦後の日本画が出発していくことを指摘した。 全6頁
41 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
単著
明治前期日本画壇の動向

下関市立美術館『大庭学僊と明治前期日本画』


1991/11



日本絵画にとって「近代」とはどのように出発したのかを、近世絵画を視野にいれ、考察したものである。つまり、近世絵画のあり方を幕藩制的御用絵師体制を主体とするものと考える時、それが解体していく過程は、一方で「近代化」の過程でもある。この御用絵師体制は流派の流儀に拘束されているところに特徴があり、この呪縛から解放されることが「近代化」の第一歩と捉え、その原点を円山応挙や曽我蕭白らが活躍した宝暦~天明期に求めた。また明治政府が推進した展覧会での審査、美術団体の結成、美術学校の設立もまた、流派を解体させる大きな要素となり、絵画の個性化が促進されたことを述べた。 全6頁
42 研究論文(学術雑誌)
単著
伊奈忠尊失脚後の関東郡代制

吉川弘文館 『日本歴史』

第521
1991/10



近世初期以来、関東支配に大きく関わってきた関東郡代伊奈氏が寛政改革末期に家内不取締により失脚した。その後、関東郡代職は、勘定奉行の兼帯となり、14年後消滅した。この期の関東郡代に関する研究はほとんどなく、その歴史的意義も未解明のままであるため、組識の再編過程、職務管轄、その廃止過程とその後の影響を考察したものである。主として格式との関係から、勘定奉行の兼帯という形で関東郡代制が再編され、伊奈氏の関東支配を継承しながら、当該期の諸問題にも対応せざるを得なくなり、公金貸付、広域取締、鷹野御用、江戸湾防備といった国政への関与を余儀なくされ、そのことが関東郡代制を消滅させる結果となり、関東郡代の職能が勘定所体制に吸収されていく過程を明らかにした。 全19頁
43 (MISC)その他記事
単著
江戸時代に見るニッポン型環境保全の源流―将軍の鷹狩りが自然を保護した―

農山漁村文化協会『現代農業』臨時増刊


1991/09



江戸期の環境保全はどのようなものであったか。このことを考える時、必ずしも江戸幕府が統一的な環境行政を行っていなかったわけであるが、結果として環境保全に役立った政策があった。それは鷹場政策と呼ばれるものであるが、この政策が環境保全に果たした役割は大きい。すなわち、将軍の鷹狩りの場として、鷹場を諸地域に設定したわけであるが、この鷹場では鳥獣を捕獲することや新しく家を建てること、そして勝手に伐木、土の採取をすることを禁じられていた。しかし、これらのことは環境保全を目的としたものではなく、将軍の鷹狩りを維持することが主要なねらいであり、江戸時代的な所産なのである。逆説的ではあるが、この鷹場政策が開発を規制し、自然を保護した効能を述べた。 全6頁
44 (MISC)その他記事
単著
いま明かされる野間コレクション

三彩社『三彩』第524号


1991/05



講談社の創業者野間清治は、出版事業で名を成した人物であるが、美術品のコレクターとしても一部の人々の間では知られていた。そこで、調査により彼が収集した美術品が一万数千点にのぼること、そしてその内容の特色を明らかにした。事業の成功と機を一にしてはじめられた美術品収集は、日本画、洋画、書、刀剣、陶器、根付など多岐にわたり、なかでも日本画は数千点に及んでいたことを報告した。それも特定の作家、美術団体にかたよることなく、雑誌出版事業の精神と同じように、「雑」の思考を体現したものであったことを述べた。 全4頁
45 (MISC)その他記事
単著
江戸時代の鳥獣行政

財団法人日本野鳥の会 『野鳥』第532号


1991/01



江戸時代における人間の生活と鳥獣の保護との関係をいくつかの事例により述べたものである。五代将軍徳川綱吉による「生類憐みの令」はすべての生類の愛護を徹底させたものであるが、この法令が生類愛護の思想から出発したものの、将軍個人の恣意によるものであることを述べ、人間生活が犠牲となっていた状況を説明した。これに関連して、古代以来からの為政者による鷹狩り政策について述べた。鷹狩りの場である鷹場では、生類の殺生禁止と環境の維持が強制されたが、これは鳥獣愛護の精神からではなく、将軍や大名の鷹狩り行為を満たすためのものであり、生類殺生の権利が将軍や大名に帰結したことを説いた。 全2頁
46 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
単著
笹ヶ崎村の農民生活

江戸川区教育委員会 『須原家文書』第7巻


1989/03



江戸周辺に位置し、江戸川下流域の武蔵国葛飾郡笹ヶ崎村の農民生活を実証的に解明したものである。一般に、近世の農民生活の具体相は史料に表れにくいが、農業生産活動、休日、衣食住、冠婚葬祭を題材に取りながら、農民生活の一端を明らかにすることに主眼を置いた。農業生産では土質に適した作物、稲の種類が選定され、栽培されていること、また肥料は江戸周辺という地理条件に規定されて江戸町の武家屋敷から買い入れた下肥が利用されたことが判明した。休日は各村の伝統によって祭礼日や神事などの農民慣行が主体であったこと、衣服は自給が原則であったこと、さらに、平均的な農民家屋は敷地 100坪、住居 15~20坪、農民生活に農村金融としての質屋の存在が欠かせなかったことなどを明らかにした。 全13頁
47 (MISC)その他記事
単著
県別風土記・東京都伝統的花鳥画の継承者―荒木寛畝とその画系

生活の友社『美術の窓』第72号


1988/11



江戸後期から明治・大正・昭和にかけて、花鳥画の伝統を守り続けた荒木派と呼ばれた一派があった。東京画壇で勢力を保ち、南北合派の手法を伝えた。戦前まで、この画系は寛快-寛畝-十畝と引き継がれるが、その実態は未解明のままであった。そこで、この三代の画業の足跡とその特色を明らかにしたものである。谷文晁の流れを引く寛快は御用絵師として活躍し、主に人物画の制作を主体としたが、寛畝の代になり、土佐藩の絵所預りとなり、しだいに花鳥画の大家として東京美術学校教授、帝室技芸員を歴任し、東京画壇の雄として解剖学的な手法を取り入れた花鳥画を確立する。その養子十畝もその路線を継承し、さらに装飾性を強めた花鳥画を開拓し、多くの門弟を育てたことを明らかにした。 全4頁
48 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
単著
武蔵国東部低地帯農村における年貢と貢納組織

江戸川区教育委員会 『須原家文書』第3巻


1984/03



中川と江戸川に挟まれた武蔵国東南部の低地帯農村における年貢勘定の特質とその納入組識について考察したものである。一般に年貢は近世社会においては村請制によって貫徹していると考えられている。しかし、この地域では、年貢の割付、皆済は反取法と呼ばれる方法によって田方は米納、畑方は貨幣納により村請で行われていたが、近世後期になると実際の年貢納入方法は地域の村々が共同で組織した「年貢納組合」と呼ばれる組合請によって達成されていたことを論証し、その歴史的意義は、年貢納入の経費削減にあったと結論づけた。 全23頁
49 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
紀伊家の鷹場支配と幕府の対応

与野市教育委員会『与野市史調査報告書』

第6
1984/03



近世の大宮、与野、浦和一帯は紀伊家の鷹場に指定されていた。これまで、これらの鷹場は紀伊家独自の支配によって維持されてきたことが強調されてきたが、この鷹場が江戸幕府から拝領したものであることに注目し、公儀鷹場の一翼を狙い、幕府役人の掌握下に置かれていたことを論証したものである。まず、この地域に紀伊家鷹場が指定される際、幕府役人が領域の確定を指示し、その支配も幕府鷹場役人の指揮のもとに紀伊家鷹場役人が存在したことを論証した。こうした鷹場はまた、鷹場に限定して触れられる法令(鷹場法度)によって統制されるが、その法令の布達は、紀伊家鷹場役人によってばかりでなく、幕府鷹場役人によっても行われていることを明らかにした。 全7頁
50 研究論文(学術雑誌)
単著
鷹場制度の展開と江戸周辺農村

名著出版 『歴史手帖』

第10/ 第6
1982/06



江戸周辺農村を政治的に規定する要因の一つに幕府鷹場に指定されていたことがあげられる。本稿では、江戸周辺農村=幕府鷹場を実証的に解明し、江戸幕府鷹場制度の展開によって、どのような支配体制のもとに置かれ、どのような変質を遂げるのかを究明したものである。その結果、江戸五里四方に展開していた鷹場が時代の推移とともにその外縁に拡大していく一方で、江戸町の内部へも拡がりを見せていく状況を論証した。このように、地域拡大していく鷹場は、関東郡代伊奈氏や鷹場役人と直結した「触次・触元」制によって維持され、支配の徹底化と鷹場役の供給を達成したことを明らかにした。 全6頁
51 (MISC)その他記事
共著
綱差役川井家文書

目黒区教育委員会


1982/03



本書は近世において幕府の綱差役を勤めた川井家の文書のうち綱差役関係文書を解読、編集した史料集である。「権兵衛が種蒔きゃ鳥が掘じくる、三度に一度は追わずばなるまい」で知られる川井権兵衛は、江戸期に目黒筋の綱差役を世襲した。綱差役とは、将軍が鷹狩りをする際、獲物となる諸鳥を飼育する役目を担うものである。本書の巻末に拙著「川井家文書と綱差役」という解説文を付し、世襲の模様、格式と待遇、活動状況、鶴の飼育技術、餌の支給状況を史料にそくして明らかにしている。 全182頁中、解説及び史料解読(101~182頁)を担当 共著者:村上 直、仙石鶴義、根崎光男、大石学、大和田公一、岩田浩太郎
52 (MISC)その他記事
単著
渡辺東淵雑録

習志野市教育委員会


1981/03



近世後期、下総国千葉郡鷺沼村の医師・渡辺東淵が36年間にわたり、社会や身の回りの出来事を記録したのを翻刻したものである。特に、歴史書などでは見ることのできない、近隣の具体的な歴史的事実を数多く記録し、東葛地方の歴史を知る貴重な史料といえる。その内容は、疫病流行、殺人、窃盗、訴訟、地震、火事、水害、異国船渡来、漁業、米・麦・さつま芋などの穀物値段、寺社の祭礼、村役人の選挙など多岐にわたっている。なお、巻末に解説として、本書の特徴、渡辺家の系譜、この村の支配者である旗本大久保氏の系譜、鷺沼村の概要を付した。 全73頁
53 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
江戸幕府鷹場制度の形成と機能―上総国東金御鷹場を中心として―

法政大学大学院 『紀要』

第5
1980/10



これまでまったく研究蓄積のない江戸幕府鷹場制度の形成過程を追究し、幕府政治の展開や領国支配の特質と関連させながら、政治制度としての鷹場制度の歴史的意義の究明に主眼をおいた。その結果、徳川氏の関東入国時に家臣団配置と密接に関わりながら鷹場配置が行われていることが想定できた。この鷹場地域には卓越した軍団が配置され、その中心地に東金代官が配置されて、敵性大名佐竹氏・里見氏に対する軍事基地と化し、領国経営が達成されていたのである。また開幕後、公家に鷹狩禁止令を布達し、放鷹権を集権的に編成し、大名には鷹や鷹場を下賜し、また天皇には鶴の献上を恒例化して幕藩・朝藩関係を構築し、鷹場制度を将軍主権確立の道具立てとして活用し、整備していったことを論証した。 全13頁
54 研究論文(その他学術会議資料等)
単著
房総における組合村体制の展開過程

千葉県企画部県民課 『千葉県の歴史』

第18
1979/08



文政の改革組合村に先行する組合村の評価については、大別して村落相互の自治的連合体とする見解と村落支配機構とする見解がある。そこで、本稿では安房国や上総国内に存在する改革組合村に先行する組合村の分析を試みた。そこでまず組合村結成に際して作成された議定書や支配形態の特徴、そして改革組合村への編入状況を実証的に分析してみた。その結果、宝暦期以降、村落が当面する社会秩序の荒発を背景に風紀粛正を意図した議定書を作成し、それらは幕府が発令した治安維持政策と相互関連性をもちながら作成していることを確認できた。なかには組合村→触次名主→代官→勘定奉行という支配ルートをもつものがあり、幕府の統一的な取締体制に包摂される組合村の性格の一端を析出した。 全14頁
55 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
近世における郷組の存在とその意義―総州の五郷組合を中心に―

法政大学史学会 『法政史学』

第31
1979/03



幕藩制国家の農村支配は、村請制と呼ばれる仕組みによって達成され、近世後期になると関東では広域取締を達成するための改革組合村の結成により補完された。そこで、近世前期より相模国内で広範にみられる村連合組織の「三郷組」や下総・上総両国内でみられる「五郷組」(五郷組合ともいう)を事例として、その存在形態の特色と歴史的意義を考察した。その結果、これらの郷組は、少なくとも寛文期頃にはその存在が確認でき、村々の連合によって治安維持や公儀役の負担等に機能していたことが判明した。特に、郷組が相給知行形態、錯綜知行形態下においても、個別領主権尊重が貫かれ、また経済統制にも機能していることから、村請制を補完する村々の連合による農村支配体制の一環をなしていることを指摘した。 全19頁
56 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
寛政期における鷹場制度の展開過程

法政大学大学院日本史学 『法政史論』

第5
1978/03



江戸幕府鷹場制度の展開過程のうち、これまで未解明な寛政期に焦点をあて、その変革の要因及び実態の解明を目ざしたものである。まず、その前提として、江戸幕府鷹場の地域的拡がりを検討した。その結果、従来鷹場が江戸周辺十里内という評価にとどまっていたのに対し、新御鷹場の拡大によって、二十五里にも及んでいたことを論証した。そのうえで、寛政期の幕府鷹場制度が関東郡代伊奈氏の失脚を契機として変革されたことを指摘した。具体的には伊奈氏が近世初期以来、幕府鷹場制度の展開に密接にかかわっていたことを論証し、またその失脚後、幕府鳥見役の職務権限の拡大、勘定所(兼帯関東郡代役所)への鷹野御用の移管に触れ、「鳥見・勘定所体制による鷹場制度」に変化したことを指摘した。 全15頁